【Vol.2】株式会社ベストフィールド 代表取締役 添田弘幸さん

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【プロフィール】

1980年に早稲田大学商学部卒業。1980年に総合商社 大倉商事株式会社入社。1990年に大倉商事内で社内ベンチャーとしてCATV局向け番組供給事業を開始。1991年にレモンチャンネル(キッズステーションの前身)の名称でテープ配信をスタート。1993年にCS放送局 キッズステーション設立・創業。2004年にベストフィールド設立・創業。2010年にCS放送局 ファミリー劇場の番組審議委員に就任。

Q.現在の事業に至るきっかけやプロセスを教えてください。

まず大学を卒業し、新卒採用として大倉商事という(当時銀座にあった)商社に入社しました。当時、1990年頃だったと思いますが、大倉商事の社内で新規事業を募集していました。様々な企業が新規事業への取り組みを盛んに行っていた頃です。その頃はちょうど都市型ケーブルテレビというものが出てきていた時でもありました。今でも見ることができるチャンネルで言うとスターチャンネルやスペースシャワーTVなどは当時から見ることができるチャンネルでした。

そういった背景、もともとケーブルテレビの番組供給や放送業界に興味があったこともあり、大倉商事の新規事業としてケーブルテレビへの番組供給事業を社内に企画提案しました。その企画が社内の新規事業の一つとして採用してもらうことになりました。

当時は、番組一つ一つがビデオテープで納品だったので、日本各地のケーブルテレビ局にダビングしたテープを逐一納品していました。一方で、だんだんと契約局が増えていくにつれテープでの納品が困難になっていきました。

ちょうどその頃、民間の通信衛星が上がっていて、先行していたチャンネルのスターチャンネルやスペースシャワーはその衛星を利用してケーブルテレビ向けの番組供給を始めたところでした。

テープでの番組配信の限界、通信衛星という番組供給環境の整備もあって、独立した大きな事業としてケーブルテレビへの番組供給を行いたいと正式に大倉商事に提案しました。

今では考えられませんが、当時は東宝の映画や古いアニメ、ドキュメンタリーやドラマなどあらゆるジャンルの作品をケーブルテレビでの配信用に権利処理し、テープ配信していました。中でも子供向けの昔の番組(アニメーションなど)にニーズがあるということが分かり、子供向けに特化したチャンネルを企画することにしました。そのチャンネルには「キッズステーション」と命名し、社内に稟議を出したうえで決済をもらうことができました。

そして1993年の4月に「キッズステーション」がスタートしました。

コンセプトは、“新旧問わず、良質な番組を今の子供と昔の子供の両方に届けるチャンネル”です!

また当時まったく予想していなかったこととして、パーフェクTV!(現:スカパー!)の開局がありました。それまではケーブルテレビ局からしか配信料をもらうことができませんでしたが、個人からも受信料をいただくことができるようになり事業として大きく飛躍することができました。そういったこともあって「キッズステーション」は採算がとれるようになっていきます。

現在のキッズステーションは800万を超える視聴可能世帯数があるチャンネルです。当初は100万世帯に到達するまでに時間がかかりましたが、100万世帯を超えてからは世帯数の増加も加速度を増し200万世帯、300万世帯と増えていき現在の視聴可能世帯数に至りました。

もともと「キッズステーション」は大倉商事と三井物産が二社で運営していた事業でしたが、1998年からは三井物産が一社で運営することになりました。

私自身は2004年まで「キッズステーション」に勤めていました。自ら始めた事業ではありましたが、次の新しい事業に挑戦したいと思い2004年に「キッズステーション」を辞めることになります。

それから、映像に関わる新たな事業について試行錯誤していく日々が続きます。そんな中ふと、DVDをシニア向けに企画、販売したらどうかというアイディアが浮かびました。

新作のドラマやアニメは大手の制作会社が次々と世に送りだしていくので、超後発組の私がそこに入っていくことはできません。ただ、超後発組として改めて映像業界に参画していく一社として、シニアシフトしていく世の中を見据えつつ、シニア向けに昔懐かしいアニメやドラマをDVD化して販売してみたら可能性があるのではと思いました。

最初は、新聞通販やカタログ通販の会社に「隠密剣士」のDVDの販売をお願いしてみるところから始めたところ殊の外、反響がありました。

ただ通販では限界があることも分かっていたので、アマゾンほか販売ルートの拡大に動き始めました。そんな時、旧知のTCエンタテインメント永田専務に相談をしたところ、快く販売をお受けいただくことができ、販路を拡大していくきっかけになりました。

最初は3ケ月に1タイトルのリリースから始め、徐々にリリースできるタイトルの数が増えていき、毎月複数タイトルをリリースする現在の形になりました。

もちろん弊社としては、誰もが知っているメジャーなタイトルを定期的にリリースしたいという気持ちもありますが、なかなかそうはいかない場合もあります。ただ、メジャータイトルでなくても誰にも一つや二つ、自分の好きなアニメやドラマがありますよね。そういう必ず誰かの想い出に残っている作品を掘り起こしていき、権利処理を行いライブラリー化してくというのが現在の私たちのスタイルとなっています。

Q.メジャータイトルではないがコアなファンがいるタイトル、販売が期待できるタイトルを選定する基準はありますか?

前提として、昔は生活の中心にテレビがありました。言い換えると、当時の人々はテレビを中心に生活をしていたと言っても過言ではありません。そうすると、「ウルトラマンはもちろん好き。でも○○も好きだった」というように複数のコンテンツを好んでいたファンが現在の50代を中心に多く存在しています。

昔はお茶の間にテレビが一台しかなかったので、たとえ良い番組であっても裏番組が強いと見ることができませんでした。場合によっては、夜7時台に見たい番組が3つ重なって、どうしようもないなんてこともありました。

ウルトラマンのファンであり、他のヒーローのファンでもあるのに、実際には、放送はウルトラマンしか見られないという視聴者が数多く存在していました。

それ故、たとえ当時のオンエア時に視聴率が芳しくない作品でも、その作品を大人になった今改めて見てみたいというファンはいるはずです。そういったファンのために作品を掘り起こすことを心がけています。

また幸いなことにフィルムの素材さえあれば、現在の技術でHD化できるので単に掘り起こすだけではなく、できるだけ綺麗な映像にしてリリースすることが可能です。今後は、できるだけBlu-rayで発売することにより、ファンの皆さんに当時の思い出を再度綺麗な映像で味わって

いただければとも思っています。

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Q.御社発売元タイトルで添田さんが個人的に思い出深い作品はありますか?

私の年代的には、「エイトマン」と「光速エスパー」、「忍風カムイ外伝」が思い出深い作品です。

「エイトマン」は、私が小学校一年生の時に大好きなアニメでした。当時は社会現象にもなっていて、子どもであれば10人中10人が見ていたような作品で、私もご多分に洩れず夢中になっていました。大人になった今、振り返って見ても面白い作品です。

「光速エスパー」は、昭和42年に放送されたカラーの作品でした。当時の番組は大半がモノクロでしたから、カラー作品はとても珍しかったのです。「光速エスパー」は好きだったんですが、当時(自宅で)カラーで見ることができず、それが悔しかったんです。たまに近所のお金持ちの友達の家に行ってはカラーテレビで見させてもらったりしていました。そういう思い出もあり、後になって全編カラーで見ることができた時は本当に嬉しかったことを覚えています。

「忍風カムイ外伝」は、「サザエさん」の前番組でした。日曜日の夕方6時台に放送するような番組ではなかったと思います。子どもながらに衝撃を受けました。衝撃を受けながらも、非常に面白く心に残ったことが印象深い作品です。今見ても古めかしい感じはせず、今の若い人が見ても十分に楽しめる作品だと思います。

古い作品には、その時の作り手・制作者の息づかいや情熱が感じられます。そういったことも昔の作品が好きな理由の一つです。

「エイトマン」DVD-BOX1&2 好評発売中!
http://bit.ly/2sSMow4

「光速エスパー」DVD-BOX、Blu-ray Vol.1&2 好評発売中!
http://bit.ly/2soh6tJ

「忍風カムイ外伝」Blu-ray Vol.1&2 好評発売中!
http://bit.ly/2t2wTQV

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