【vol.7】株式会社オフィス・ピカ 飯田光代さん

IMG_7667.JPG【プロフィール】
主婦暦42年。1997年から地域でドキュメンタリー映画を上映する。1999年、優れたドキュメンタリー映画を観る会を発足し、毎年映画祭を主催。2014年に夫婦で映画配給会社オフィス・ピカ(ピカフィルム)を設立。

今回のInterviewsは、映画『サクロモンテの丘 ロマの洞窟フラメンコ』の配給・宣伝を行った株式会社オフィス・ピカ(ピカフィルム)の飯田光代さんが登場。本作への取り組みやフラメンコを中心としたスペイン、サクロモンテの文化や歴史のお話を中心にインタビューをさせていただきました。

━━━映画の上映に関わるようになったきっかけを教えていただけますか?

下高井戸シネマで「優れたドキュメンタリー映画を観る会」という非営利の自主上映会からスタートしました。正式には1999年3月からですが、実際に活動を始めたのは1997年にPTAの母親たちで力を合わせて小学校の体育館で上映会を始めたことがきっかけでした。
社会的な問題を扱ったドキュメンタリー映画を地域で上映したいと思った理由は、結婚して三人目の子供が生まれて、その子が障碍を持っていたことでした。社会の問題を扱った映画を観て、皆で問題について理解していきたいと思って始めました。

━━━株式会社オフィス・ピカはどういった経緯で設立に至ったんでしょうか?

オフィス・ピカができたのは三年前、この会社は実質的に私と夫の二人で運営しています。会社を立ち上げるきっかけになった映画が『ジプシー・フラメンコ』(2014)でした。三年前に山形国際ドキュメンタリー映画祭でこの作品に出会い、作品を観てとても感動しました。エバ・ヴィラ監督にも会うことができて、話をしたらすごく意気投合して。その時にこの作品を配給したいという気持ちを伝えたところ、すでに「パンドラという会社が手を挙げている」ということを聞きました。
以前、「優れたドキュメンタリー映画を観る会」で株式会社パンドラが配給している『ハーヴェイ・ミルク』(1984)を上映させていただいたことがあって、パンドラの中野さんは知っていました。中野さんに電話したところ、「飯田さんと一緒にやるんだったら心強いわ」と言っていただきました。
出資金が少し高かったこともあり、自宅に帰ってから夫に事情を相談して自分の気持ちを伝えたところ「やってみるか」ということになりました。元々、夫は海外との仕事をしていたこともあって英語や海外との折衝や事務ワークに慣れていたので、二人でオフィス・ピカを立ち上げるという決断をしました。その結果、『ジプシー・フラメンコ』はオフィス・ピカとパンドラの折半出資で共同事業としてやらせて頂くことになりました。

━━━初めて配給に取り組まれたということですが自主上映会での経験が活かされることも多かったのではないでしょうか?

自主上映会では上映会とイベントを企画し運営するという活動を行っていたので、配給の際もイベントと一緒に上映をするといった場面で活かされていますね。また、劇場との連絡ややり取りも自主上映会のときからやっていて慣れているので、配給の際にもその経験が役に立ちました。

━━━『ジプシー・フラメンコ』や『サクロモンテの丘 ロマの洞窟フラメンコ』(2017)(以下、サクロモンテの丘)は両作ともにフラメンコという共通したテーマがありますが、配給したいと思った理由をお教えいただけますか?

両方の作品はフラメンコという共通したテーマがありますが、ステージを表側だけから撮ったものではなく特に裏側を捉えたヒューマン・ドキュメンタリーになっています。また自分自身が「優れたドキュメンタリー映画を観る会」でやってきたことと、50歳半ばで始めたフラメンコの体験が交差するような気もしました。
『サクロモンテの丘』はグラナダのロマの人々の生活に入り込んだ作品で、彼等の歴史や独自の文化を知るきっかけになれば、と思います。

━━━フラメンコについての作品だと『パコ・デ・ルシア 灼熱のギタリスト』(2016)(以下、灼熱のギタリスト)も話題になりました。あの作品もフラメンコギターや人物の裏側について知るための貴重な映画でした。

パコ・デ・ルシアはロマではないのですが『サクロモンテの丘』に登場するロマの人達と似ているところがあります。元々、パコ・デ・ルシアはフラメンコギターの奏者ですが、南米に行ったりジャマイカに行ったり、音楽を様々に融合させて自らのスタイルを確立させていきました。その姿は『サクロモンテの丘』に登場するロマの人達がフラメンコを芸術の域にまで昇華させてきた経緯と共通するところがあります。
ロマの人達はアラブの音楽やグレゴリオ聖歌だったり色々な音楽を融合させてフラメンコを完成させてきました。またロマの人達はアンダルシアだけでなく、東ヨーロッパなど様々な場所に分散していますから、ロマの音楽はそれぞれ各地の音楽と調和融合しています。

━━━ロマとはどんな人達なのか教えていただけますか?

特にフラメンコの場合は、ロマのことをスペイン語でジプシーという意味の「ヒターノ」という言葉で呼んでいます。ヒターノを紐解こうとすると歴史は中世以前まで遡り、彼らはインドを起源にしていることが分かっています。私が聞いた話では、六世紀にペルシャ(イラク)の王様が一万人のインドの楽団を呼んで、彼らの楽器やダンスを一年中お城の中で楽しんでいたそうです。ある日、王様は演奏に飽きてインドの楽団に帰るように命じました。その後、一万人の楽団は様々なルートを辿って旅をし、その中の一部がアンダルシアに行きました。
エミール・クリストリッツァ監督『オン・ザ・ミルキー・ロード』(2016)の音楽やマヌーシュジャズのジャンゴ・ラインハルト、チャボロ・シュミットもロマですから当然ですが、ロマの音楽から影響を受けていると思います。
ロマ(の音楽)が様々に枝葉に分かれていった中の一つがアンダルシアでした。音楽評論家/スペイン文化研究家の濱田滋郎さんによると、ロマ達がアンダルシアに定住した理由の一つに気候が暖かかったからということがあるそうです。ただヒターノでも音楽家やダンサーではない人もたくさんいて、そういう人達は貧しい暮らしをしていて実際に差別をされています。

━━━『サクロモンテの丘』では「ロマは、ロマであっても非ロマであっても差別しない」という発言もありました。

例えば、ヒターノではない超一流のフラメンコのダンサー達の中に入ったとしても差別はないそうです。自分の芸術を確立した芸術家にはそういった感情はないと聞きました。芸術家同志には出自や師事していた先生の違いによる差別などはまったくないようです。芸術に関わっている方は他人を認める気持ちがあります。パコ・デ・ルシアもそうでしたよね。『灼熱のギタリスト』に登場する生粋のヒターノである歌手のカマロン・デ・ラ・イスラに出会って、パコ・デ・ルシアも開花しました。

━━━『ジプシー・フラメンコ』を配給した後に二本目の作品として『サクロモンテの丘』に取り組んだ経緯を教えてください。

私自身、スペインが好きになったきっかけがグラナダのサクロモンテだったんです。12年前に初めてサクロモンテに行って以来、毎年サクロモンテを訪れていました。アップリンクさんが配給するよりも前に現地に行った際、現地の人から『サクロモンテの丘』を紹介されました。その翌年にアップリンクさんが配給されるということを聞いて驚きました。どうもフランスに版権が売られていたようです。すぐアップリンクの浅井社長に電話して「『サクロモンテの丘』を一緒にやらせてください」と伝えたところ、「僕のビルを取るつもり?そんな電話聞いたことないよ。」と言われました(笑)。その時もパンドラの中野さんに相談したら、正式に浅井社長と繋いでくださって。直接お話しして経緯や動機を説明したところ、共同事業でやらせていただくことになりました。

━━━共同事業になった『サクロモンテの丘』で飯田さんはどういった部分を担当されていたのでしょうか?

フラメンコに関係する宣伝を担当しました。雑誌をはじめとする媒体や教室、スタジオなどフラメンコに関係するものは網羅して宣伝しました。『ジプシー・フラメンコ』に取り組んだ経験を活かして、雑誌であれば掲載してもらえるタイミングなどが分かっていたのも役に立ちました。
この映画を広めようとお互いに協力する中、信頼関係が築かれ、人同士が繋がっていくことが大切だと感じています。

━━━パンフレットやDVDに封入されているブックレットも内容が充実していますね。

当初入手した登場人物のプロフィールは五人くらいでした。中には出生も本名も分からない人がいて、私自ら現地を訪ねて調べに行ったこともありました。フラメンコの学者や現地に住んでいた高橋英子さんにお願いしたりと様々な方法で調査をしていきました。資料的にも価値があると思っています。

DSCF7808.JPG(サクロモンテを訪ねる飯田さん)

━━━グラナダのサクロモンテに度々行き、『サクロモンテの丘』を配給・宣伝した飯田さんがオススメする、現地の雰囲気を味わったり文化を体験できる場所があれば教えて下さい。

一番は、新宿の伊勢丹会館に入っているフラメンコショーが観れるレストラン「ガルロチ」です。ついこの間もフラメンコ発祥の地セビージャで一番のマエストロ/師匠と言われるホセ・ガルバンがショーをしていました。現地でも一年に一、二回しか観れないような人を間近で観ることができます。
余談ですが『サクロモンテの丘』に出てくるアーティスト達のショーは、現地でもほとんど観る機会がありません。観光で訪れて彼ら、彼女らの踊りや演奏を観たいといってもよっぽどなことがない限り観ることができません。彼らの踊りや演奏は今となってはこの作品でしか観ることができないと言っても過言ではありません。だからこの作品は民族史や民族芸能の資料として貴重なんです。

━━━飯田さんは作品に出てくる人の中でどなたかお会いしたことがありますか?

本作の案内役であるクーロ・アルバイシンやマノレーテその他の登場者達と現地に行ってお会いしました。クーロには高橋英子さんが紹介してくれたことがきっかけで会う機会を得ることができました。彼女は35年間、スペインで暮らしていて、クーロが経営していたクエバ(洞窟)で彼等と一緒に踊っていたんです。私は英子さんにフラメンコを習っていて、先生と生徒という繋がりがあったことで念願が叶いました。英子さんはグラナダでフラメンコの先生をしていて、現地のアーティスト達から同胞の扱いをされています。サクロモンテでフラメンコの先生として、またフラメンコダンサーとして活躍してきた日本人は、彼女が唯一だと思います。

━━━『サクロモンテの丘』の魅力、そしてこれからDVDで鑑賞される方々に一言いただけますか?

日本で暮らしている私達にとって舞台で観るフラメンコというと、綺麗な衣装で化粧をして踊るものを想像するかと思います。ただ、この作品ではダンサーが普段着のままで出てきて踊って、彼らの生き様が踊りで表現されているということが最大の魅力です。歌や詩、踊りで表現されているその背景には貧しさや差別がありますが、光を見失わずに生きてきた彼らの凄味があるので感じ取っていただけたらと思います。
ただ、彼らはとても照れ屋で、特にナビゲーターのクーロがそうで。彼ら特有のユーモアが猥談のようになっていて聞き苦しいところもあるかもしれませんが、それが彼らの憂さ晴らしになっていて、彼らの文化だということも理解してもらえたらと思います。

━━━最後に、今後のオフィスピカとして取り組んでいきたいことについて教えていただけますか?

来年の七月公開で『ラ・チャナ』というドキュメンタリーをアップリンクさんと共同でやります。バルセロナ出身のロマのダンサーを描いた作品です。『サクロモンテの丘』は記録を残すということが主題でしたが、その前の『ジプシー・フラメンコ』はフラメンコ界の女神「カルメン・アマジャ」生誕100年を記念して制作され、フラメンコ芸術の源流を描いた作品でした。『ラ・チャナ』もそれに近い作品ですが、ラ・チャナという一人の女性の生き方を描いています。フラメンコだけではなく色々な方に共鳴していただければと思っています。
また、配給をやるきっかけを作ってくれた『ジプシー・フラメンコ』のエバ・ヴィラ監督が新作を撮影しているようなので、主人と力を合わせて日本で公開したいと思っています。

━━━本日は、ありがとうございました。

ありがとうございました。

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