【vol.11】著述家・映画製作者 ダニエル・バードさん

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【プロフィール】Daniel Bird 1978年生まれ。著述家、映画製作者。アンジェイ・ズラウスキー、ロマン・ポランスキーほか映像作家の回顧録や研究書の出版に携わる。様々な作品のメイキング・ドキュメンタリーや関係者インタビューを行い、また、本商品に収録された「シルバー・グローブ」「悪魔」のフィルム修復も手がけている。
アンジェイ・ズラウスキー作品のフィルム修復を手がけ、ズラウスキー作品の特集上映会を開催し、彼の遺作『コスモス』(15年)では製作助手も務めたズラウスキー研究家の第一人者、ダニエル・バード氏が初来日しました。今年40歳の彼に、日本ではあまり知られていないズラウスキー監督に関する秘話を語ってもらいました。

ズラウスキーにとって映画の言葉は重要でドストエフスキーの長編小説のようなものを目指していたと思います。

――ズラウスキー作品と初めて出遭ったのはいつ頃で、どんな環境でしたか。

ズラウスキー作品を初めて意識したのは、『ポゼッション』(81年)のポスターを見た93年か94年で、そのシュールなデザインに魅せられ、絶対に観たいと思いました。でもイギリスでは検閲により劇場公開されず、初見は海賊版ビデオです(笑)。秀逸な不条理作で大感激。とりわけ俳優たちの感情が爆発したようなシーンが魅力的で、それは音楽の情感から滲み出てくるものでなく、俳優から伝わってくるもの。まるでエモーショナルの火山噴火のようでした。

そしてある日、ロンドンの大学の図書館に並んでいた電話帳で、Zの項からズラウスキーの表記を見つけて電話してみたところ、出たのがマレック・ズラウスキーさんという方でした。実は彼はアンジェイ・ズラウスキーのいとこで、彼を経由して監督と話すことができました。そして97年に初めて会うことができたんです。

――監督とはその後も頻繁に会ったのですか?

98年だと思いますが、ズラウスキー監督と当時付き合っていた女優のソフィー・マルソーが、『007/ワールド・イズ・ノット・イナフ』(99年)のオーディションに受かったので、彼女の撮影のために1年間ほどロンドンに住むことになったんです。だから私もズラウスキーと一緒にいることが増えたのでラッキー。2人はお互い自己主張が強いので、言い争うことも多くその関係には度々、摩擦が生じることがありました。その頃、ズラウスキーは『フィデリテ』(00年・ビデオ題『女写真家ソフィー』)の脚本を執筆していて、僕はイギリスでズラウスキーの特集上映会を企画したんです。ズラウスキーも呼んでね。ちょうど大学卒業間近で、いわば人生の分岐点にいました。そこで監督のはからいで、パリに行って『フィデリテ』の製作現場を見学したんです。

――今回のBOXに収録した3作品は、彼の中でどんな位置付けですか。

彼が生まれた共産主義政府下のポーランドで撮影された3作品だからこそ、いちばん重要で大事な作品です。『シルバー・グローブ』の製作時は、ちょうど『スター・ウォーズ』(77年)がムーブメントを起こし、世界的にSF映画が盛んに作られた頃ですが、『スター・ウォーズ』とは異質の、まさに本物の“スペース・オペラ”と呼ぶに相応しい(笑)。共産主義政府の最大の敵といえば、ポーランドのカソリック社会です。『シルバー・グローブ』は反カトリックの要素が強すぎるとみなされ、検閲を施されてしまったんです。ズラウスキーの人生にとっては最大の悲劇でした。監督は共産主義の傷を負いながらも、『シルバー・グローブ』を完成させようとしましたが、それは自身の墓をこじ開けるような感覚に近いと思います。よく製作費がかかり過ぎたから中止になったと言われていましたが、ズラウスキーは、「製作費はさほど高くない」と怒ってましたね(笑)。

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製作の中断後、10年後に新撮を加え、新たな次元、まるで四次元の世界のような新鮮な感覚を与えてくれました。新撮の場面で私が好きなのは、登場人物の脳内とワルシャワの現実(いま)との比較と、ズラウスキー自身が声をあてた悲観的な視点です。ラストショットで、ズラウスキーの顔がガラスに映りますが、あれは彼が予定したショットではなく、偶然に自分の顔が映ってしまった。このフィルムを見たとき「これはキープだ!」と(笑)。ズウラスキーが亡くなった後、NYのリンカーン・センターで彼のレトロスペクティブを行ないましたが、そのラストショットを観て「幽霊が出た!」という気がしました(笑)。映画が終わって、誰も何も言わず、ただただ沈思黙考です。

――『シルバー・グローブ』は、独特な色調をしていますね。

作品は3つのパートに分かれていて、それぞれ撮り方を変え、色調も変えてあります。特に第一部では緑色のフィルターを使い、最終的にシルバーの色調に変化させています。Blu-rayのためにリストアする際、再び緑色になってしまい、凄く慌ててしまった。最初の頃のシルバーを再現するために苦労したんですよ(笑)。そのリストアの作業中、既にズラウスキーは重病になっていて、亡くなる2日前にリストアされた『シルバー・グローブ』を観ることができました。彼は自分のリストア作品を観るときは、いつも色調にこだわっていました。『シルバー・グローブ』のリストアには、とても満足してくれました。

――今回の3作以外で、最も思い入れが深い作品は、やはり『ポゼッション』ですか。

私にとって『ポゼッション』は、俳優らの感情の爆発、監督の哲学的要素や政治的要素が複雑に入りくんでいて興味深い。2014年には、アメリカでディレクターズカット版のBlu-rayソフトがMONDO VISIONから発売され、監督の音声解説や映像特典を通じて、ズラウスキー作品に対する考え方に少しずつ変化が起きていました。私は、映像特典のドキュメンタリー『The Other Side of The Wall: The Making of POSSESSION』(11年)の監督・脚本・ナレーションを務めました。『ポゼッション』は最もスキャンダラスな作品だと思うし、ロミー・シュナイダー主演(本作でセザール賞主演女優賞受賞)の『L’important c’est d’aimer』(75年/直訳すれば「重要なのは愛すること」)は、フランスで最も評価されたズラウスキー作品かもしれません。

――監督は作品から察するに、少し気難しい方かなと思いますが、いかがでしたか。

ズラウスキー作品から漂う気難しさの背景には、彼が生まれた、第二次大戦中の1940年が根強く影響しています。彼の周囲に戦争があり、カオスに包囲されたような感じです。それを映像に転嫁し、強烈に表現できたと思います。気難しさとは彼ならではの“仮面=マスク”ではないでしょうか。私は、ズラウスキーはとても感傷的な人だなと感じています。彼は映画を撮る時、いつも「これが最後の作品だ」という思いで監督していました。20年から30年間もずっと引きずってきた想いや感情を、作品にぶち込んでいます。彼にとって映画の言葉は重要で、まるで小説……ドストエフスキーの長編小説のようなもの、それを目指していたと思います。例えば、冒頭のシーンのセリフのやり取りでは、ズラウスキーが影響を受けた作家ジェイムズ・ジョイスやドストエフスキーらの小説から、幾つもセリフが引用されているんです。つまり何度繰り返し観ても、新たな要素が発見できるのです。1回観ただけで全てではありません。

――ポーランド本国では、どんな監督として見られていましたか。

いい評判もあれば悪い評判もあり、とても天邪鬼な監督というイメージです。そもそも彼は、ズラウスキーという貴族の家系で、ポーランドでは周知です。その彼がロマン・ポランスキーと同じく、共産主義のポーランドから逃げ、自由なフランスに移り、皆から嫉妬されました。アンジェイ・ワイダとかイエジー・スコリモフスキのようなポーランド映画界の主流に収まりきれず、反乱的で衝撃的な映画ばかり作ってきました。それは彼の解放的な性格とか明確な物言いにも表われ、それにより様々な悪評が流れて広く伝わってしまった。だからズラウスキーの場合、海外のプロデューサーに興味をもたれたんです。

――ズラウスキー監督と話したことで、最も興味深い話はなんですか。

最も興味深かったのは、「アングラ的な映画は作らない」ってこと。ズラウスキー作品は、ホラーものの要素や戦争ものの要素が『悪魔』『夜の第三部分』に感じられ、人気を集めそうに見えますが、作品自体が“仮面=マスク”を被っている印象があって、ズラウスキーの語り口は別方向へと向かっています。彼は、「映画監督とは、まるで攻撃的な生物とかテロリストのような生き物で、自分で作った爆弾を爆発させるために存在するんだ。観る者に刺激を与えるのが映画監督の仕事だ」とね。しかしズラウスキー自身「爆弾的要素を含んだ自身の作品は一方で成功し、他方では失敗じゃなかったかな」と分析していました。

――その相反する理由には、どういう意味があるのでしょうか。

例えば、こんな出来事がありました。ズラウスキー監督は、『ポゼッション』の脚本をポーランドで執筆し、ポーランド人の某映画評論家の感想を聞きたかったんです。その評論家は、ロマン・ポランスキーの『ローズマリーの赤ちゃん』を例に挙げて「脚本は素晴らしいけど、悪魔のような怪物は見せない方がいいよ」と言ったんです。でもズラウスキー監督は、怪物そのものが映画を作る大きな理由なので、「絶対に見せる!」と言ったそうです。つまり映画には、ショックを与えるようなスペクタキュラーな要素が必要不可欠だと。彼が例えで言ってましたが、「(登場人物が)囁く必要なんてない。パニックになって叫んだほうが絶対に面白い」と。そのため俳優を選ぶ仕事が、とても複雑で大変なんです。監督の希望通りに応えてくれる俳優は、あまりいませんからね(笑)。

――監督は日本映画のみならず、日本文化にもかなり精通していたように思いますが……。

ズラウスキー家には、本名の他にウメダ・ズラスカという名を持つ、かなり日本文化に精通した人がいたんです。そんな人の影響もあると思います。日本映画では特に黒澤明作品に感動し、ズラウスキーの初期作では、黒澤作品の音楽にオマージュを捧げていました。もしズラウスキーが映画学校の教授をしていたら、生徒たちに「『蜘蛛巣城』(57年)や『どですかでん』(70年)を見なさい」と言っていたでしょうね。ズラウスキー監督の『ワルシャワの柔肌(はだ)』は、大島渚監督の『愛のコリーダ』(96年)との共通点が多いですよ。

――ズラウスキーは、映画という芸術表現をどのように見ていましたか。

彼の考えでは、映画とは、まるでワインのようなもの。つまり時間が経てばたつほど熟成されてゆくんです。例えば『ポゼッション』の場合、公開当時は悪評ばかりでしたが、現在では観客が成長したのか、とても良い評価を得ています。『ポゼッション』には確かに金銭的な悲劇はありましたが、それに反比例して注目度がどんどん増していると思います。世界的にズラウスキー作品の評価が、再び高まってきたときに亡くなってしまったのがとても残念。NYで『コスモス』がプレミア上映されたとき、3時間ほどの行列ができたんです。監督が生きていたとして、それを話しても信じてもらえないでしょうね(笑)。

――ダニエルさんにとって、ズラウスキー監督は師匠と呼べる人なんですね。

ズラウスキーは間違いなく、私の人生で最も重要な人です。でもある意味、思想や映画に関すること言っていることで、賛成できない部分もあるんですよ、正直なところ(笑)。ズラウスキー監督は、常に興味深くて過激な人でした。まるでカオスを作るような人でしたから。

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――今回、日本で発売されたズラウスキーBOXを見て、どんな思いですか。

重要な3作品を収録した世界初のBlu-ray BOXのクオリティはもちろんですが、日本のBOXパッケージのデザインが美しくて素敵です。大変気に入りましたよ。

取材・文/鷲巣義明(映画文筆家)

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http://www.tc-ent.co.jp/products/detail/TCBD-0692

 

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